随意筋だから意識でコントロール出来るんだけどね
走りを創意創造する中で類推していくと
直感や勘みたいな領域になってしまって
論理的な説明はほとんどできなくなる...当たり前か!?
言葉で説明がついたり納得できる内容なら
所詮その程度のこと...と言えるのも理解できる。
伝える時に
言葉が先なのか?
見せるが先なのか?
動きを見ることの素晴らしさは
言語の領域を超え共感、共鳴出来る。
そして動きを見ても分からない領域の存在も教えてくれる。
今、WINDUP ACが取り組んでいるのは
言語を超える場所を作り出しての目標達成
心のこもったお世辞の応援されるより
あかの他人にカメラ向けられる方がはやい事はヒントになる。
強くなりたいと思っている人が励みになる
2月です。