あれから20年か!?
ふと練習中に思った
1999年のANA61便ハイジャック事件
南部記念陸上出場する為の移動でそれは起こった。
想いを持った姿勢が犠牲となって
自分の命が続くことの解釈に時間がかかるとともに
自分の中で風化していく流れも感じていた。
『走る』には風化を防ぐ意味も込められている。
存在しないのに生きている人の存在
迷いやブレが生じていることを感じたとき
事件や親の死を通じ、自分が何のために生き、
どんな環境の中で生活し、
どの自分が陸上競技と向き合っているのか?
そういった自問自答の中で自制が働くことを知り
制御することの重要性を感じ歳を重ねている。
2000年訪米し、わかりやすくオリンピックを目指した。
なんでアメリカでトレーニングをしようと思ったか?
よくわからないが
そこに行けば強くなれると依存めいた暗示を強く働かせただけだったように...。
何をやればいいのか?わかってないから映える場所を優先する。
今は40m走れる道があれば何とかする自分がいる。
5月に
「人間の美しさ、琴線に触れる部分は、
負けた人失敗した人の生き方の中にしか見いだせないのではないか。
成功者に興味はない」 降旗康男監督の言葉に触れたことで
日本選手権の出場を決めた。
僕にとって特別なワード 博多の森、日本選手権
出るだけで充分と思う反面、
諦めた準備をする人間の走る場所ではないという思いが錯綜していた。
まぁ薄っぺらく日本選手権で10秒台を出すこと
目標とは言えない目標にしていた。
当初は、日の当たる場所を作ってもらったにもかかわらず
その場所を借りてアピールする事で
恩返しになるのではないか?(誰に?)と安易に思っていた。
キモっマジ調子乗ってるって話なんだけど...
そんな勝手に自分で引いたラインを無視して
出来ることを精いっぱいやってみることにした..表現としてはこれが限界。
それがその後を変えることになっていった。
行動だけではなく
思いからの行動がその後の再現性を変えてしまうことを知ることにもなる。
また先の知らない層の存在がかすかに見えた。
精一杯準備した人間がトラックに立ちゴールすることが
陸上競技の礼儀とされ、レベルや年齢はまったく関係ない
マスターズ選手の出場で
それが気付きやすい場所が生まれたことと存在
そして、
そのしわ(礼儀)を重ねた選手の存在の重要性
想いと行動で重ねる年月で
自分の形を作っていきたいと思え始めた。
目標に対し方法ばかり気にしていた時もあったけどね
僕の陸上人生には、
多くの人が自身の時間を注ぎ込んでくれてた
と同時に人の姿から学ぶ機会もあった。
想いを返そうなんて思わなくていい
一生懸命に生きろと言ってくれた人がいたり
バルセロナで補欠だった人は栄光を掴み真後ろで姿を見せてくれた。
アトランタで補欠だった人は腐らず無言で耐え抜き栄光を掴んだ...。
そこにあった想いの存在。
中学3年間同じスパイクを履いて陸上競技をしていた。
全中を前に「スパイク買ってあげよう」って
顧問は言ってくれたが
当時から僕のフィルターは面白いか面白くないかで楽しいや速くでもなく
それでいい記録が出たら陸上が面白くなくなると断った。
スパイクだけを見ればボロボロで傷んでいるとしか言えないが
モノを大事にしたい...という根柢にある想いで
そのスパイクは温かいものに見え始める。
想いの存在が豊かな想像を与え、
見た目の印象とは最小のものだと教えてくれる。
人の代わりを生きるってことは
想いを持って生き抜くことを意味している。
自分は様々な人の想いを汲んで懸命に生きているだろうか?
20年の時を経て心と行動の隙間が縮まり始めている。
全盲夫婦の特集をTVで観た。
この人たちを見習って
『出来ることをやっていこう』という想い前面で
進む2020に迷いはなく緊張に向かうだけ