可能性 ― 2011年05月24日
田村記者に感謝して
より知っていただいて彼を見守ってあげてほしい。
3年ほど前に日大の後輩,占部(トータルスポーツ)の紹介で『アスリートの夢』について
原稿を書いてほしいとの依頼で知り合ったのが彼と出会い。
当時、陸上を引退していろは出版で働いていた。
また一緒に練習しようぐらいの軽いものだった。
所属先が見つかり占部を通じて協力をしてほしい...と前所属先の方から依頼を受けた。
前所属先の方は、『9秒台で走らせてくれ』
その陸上をなめた発言に腹を立て引き受けたと言ってもいい。
たまに加古川で一緒にトレーニングをしては、
所属先のトレーニングメニューを優先にトレーニング。
行きたい方向性と強制される方向性の矛盾。
こんな状態では、記録の出ようもなくストレスをためるだけ・・・・。
この頃が一番しんどかったのではないと思う...それが昨年の夏
ただ逃げるな、自分に向き合え、そして、必死になれ
と言い続けた。
昨年、9月に会社の都合で急遽、解雇される。
これで初めて陸上競技に取り組む体制が取れたように感じた。
ただ社会的に独立した選手が記録を狙う事の重要性を唱え
ニートで練習しても一時的に良く感じるだけ・・・。
生活が不安定な状態で、強くなれるなら器ならとっくに強くなっていたはず...
練習よりも生活を安定させる事を勧めた。
同時に足元から陸上を取り組もうと800mという距離から走り始めた。
これは、晩年のカールルイスが準備期に走りこんだ距離。
晩年のルイスのメニューは、今だから理解できるメニューが多い。
と同時に『レース100m』を根の部分からしっかりと捕らえているように感じる。
小手先的な発想がない事に気づく。
過去の経験からしても200m型の選手は、800mぐらいで崩れない動きを
出来ないようじゃ春先スピードが上がると怪我を出すだけ。
崩れないをキーワードに実は、20kmなどのJOGも実践。
ガタガタの芝生で走りこんだり砂利道で走りこんだり
足裏の感覚を磨くための方法として自然をふんだんに利用した。
同時進行で仕事が見つかったり、NOBYの手伝いをしたり
人と関わる事が多くなり、人として力を付け始めた。
自分の活躍が自分だけのもので終わらすのではなく
人に影響を与えることが出来るように・・・。
そして、早熟で挫折した選手たちの分も頑張れ・・・。
どんな練習をしたからとか、どんな動きをして記録が上がったとか言うのではなく
早熟選手として終わらすのは、己の弱さゆえ...。
しっかりと経験者としてメッセージを残してほしいと・・・。記録出しての話だけど・・・。
そんな話を森長さん池田(富士通)と一緒に沖縄合宿の時、話した。
カールルイスの必死さやオリンピックを狙う選手の覚悟。
実際、見た人間が伝えようという思いの中、それらをまだ伝えている最中です。
2001年怪我で陸上から距離を置いて海外に逃亡したtiger。
パリで為末のレースを観て、数日後、オスロで朝原のレース(10.02)を観た。
海外で観た日本選手は、逞しく、ギラギラ光っていた。
そして、怪我ぐらいで逃げている自分を気付かしてくれた。
逃げない陸上をしようと今に至っているが、
慎吾にしてもトレーニング仲間にしても
自分から逃げない陸上がリンクワードかも知れない。
まぁそれを教えてくれたのは、慎吾の高校の先輩、森長さんなんだけどね!?
いろんな人のお陰。心底そう思う。
いろんな人に教え教えられ、お世話されてお世話しよう。
陸上は作り上げるもの...その事も言っておきたい。
彼も・・・俺も・・・仲間達も・・・、まだまだ...これから。