世界からアジア、そして再び世界へ
小さな定規を使わず、より大きな定規を使いこなせるように
そう思ってアジアに出場したけど、
大きな定規を持てる身体ではなかった。
大きな定規を持っているか?
この視点で人と会話し、
少ししっくりする感覚もあった。
おそらくトラブルやエラーが起こった時に
この大きさが分かりやすくなるんだと今の印象。
小さな定規を使いすぎると神経質になる。
選手のマインドは、レースに向け自然とそちらへ流される。
大きな定規を使える状態とは、
調子の良さを認識している状態。
後悔のない準備がなされている状態。
アスリート特有の根拠のない自信がある。
故に小さなことを許し、または無視し流すことができる。
レースへよりフォーカスされやすい状態作りへと繋がっていき
パフォーマンスの最大化へとつながる動線。
状態通り冷静に...がベースであることは言うまでもないが
少しはみ出してでもなんとか・・・と思ってしまうのが本音である。
大きい定規が持てないとなって
手に取れる範囲で大きめを探して
持ってみたものの大きいものでないと気づいてもやるしかない。
今年、全てがそんなレースと日々だった。
最後に確信というより事実になっただけで
やっぱりなぁ〜〜
時間を空けることで解決したのだろうか?
小さな定規で物事を捉えるということは、正確という意味が大きい。
その正確さは安心安全安定方向へは、優れている。
カオスには全くもって無意味。
今年より大きめの定規を持ってスウェーデンへ
方向が定まったのもフィリピンへのプロセスを含め出来事や出会いのおかげ。
誰にも見えないでかい定規
持てる身体と心を作るトレーニングまで
ボケーっとします。