原点回帰2014年03月15日


ルイスが現場に帰ってきました。


今年からヒューストン大学のコーチです。
監督は、リロイバレル。

バレル息子も大学に入学し
室内で6秒54をマーク
3月末には関東学連の選抜メンバーが
ヒューストンを訪れる。

tigerもタイミング合わせていく予定でしたが
3月のアメリカ行きはなし。
4月のマウントサックリレー出場に向け調整中。

先日、沖縄 北谷で行われている
日大近大合同合宿に参加。

40代のコーチも学生と共に走ったり、跳んだり...。
tiger学生の頃40代のおじさんと練習する事なんて
聞く事も見る事もなかったけど...何だか良い光景。
大学の懐かしい空気に触れながら、 時代を作った先輩方から学んでばかり。

先輩の教え子に話をしたり、
逆にチームメンバーへアドバイスをもらったり
世代をまたぎ各々が目標に進む空間は、居心地がいい。

秋には何だか面白い事が起こりそう!!

きっかけ2014年03月04日



関東インカレ11連覇、全日本インカレ7制覇...

沢木先生と同級生...そんな事も知らずに
もっと早くこのお二人の出会いを聞いてると
ライバル校の順大に対しても親近感が上がっていたに違いない。
ライバル校であっても心から素直に応援出来てたかも
宮成や服部、小苗に対してくそ~順大と言ったフィルターはなかったはず!?

45年近く前に
メキシコオリンピック出場を目指し、
模索しアメリカに渡った少年が目にした光景...
それらが元となり、日大や陸上界の基盤や流れを作ったかもしれない。

レクリエーションと言う言葉を知っている日本人がごく数人しかいない頃
ウィスコンシン州立大学でレクリエーションを専攻。
そして、そこでトムテレツ氏と出会った。

などなど...いろんな話を聞きながら澤村先生は、『先取りの名手』だと感じた。
その先取りの名手は、日本スプリント学会の会長を務め在任中に
テキサス ヒューストン大学にて海外研修を行った。
サンタモニカTCの練習を見学し、トムテレツ氏の講義。
多くの人々に感じてもらいたい。
当時の日本では画期的な事だった。

1991年に中道、森長、茂木がヒューストンに渡り、
サンタモニカTCならびヒューストン大学生らとトレーニング。
それから毎年、日大からトムテレツ氏のいる
ヒューストン大学にて合宿を行った。
tiger大学3年生の時は、
短距離ブロックでバイトしお金を貯め約3週間遠征し、
レースにも出場した。

大学側として不安視する事もあって部員で話し合いをいっぱいして
tigerは、過去に2回行っている事もあって
『練習中断してでもバイトして行くべきだ』...とみんなの前で話した。

そんな貴重な経験も先取りの名手がアメリカを後輩たちに見せてやりたい
経験させてあげたい...そんな思いを行動に変えてくれたおかげ。

今ではネタだけど
tigerは、トムテレツ氏に気に入られ
ヒューストン大に留学しないかと打診され
悩み澤村先生に相談したこともあった...次の日に靱帯断裂。
何度もヒューストンへ足を運ぶ中で
ルイスやバレル、マーシュ達と一緒にパーティーに呼んでもらったり
バレルと映画も観に行った。うどんをおごってもらった。
ヒューストン大のバスで遠征試合にも行った。
仲間と『アラモの砦』に行ってアメリカの歴史にも触れた。
澤村先生の好物メキシコ料理を宮田キャプテン率いる短距離のみんなで食べた。
そしてインカレ勝った。
ルイスに150m3本マンツーで走ってもらって動きを見せてもらった。
バレルと300mをマンツーで走りタイミングをみせてもらった。
森長-井上悟組に夜中にピザを買いに行かされた。
買い物し過ぎて生活費無くなり返金しに行った。
あなたの脚きれいと黒人にナンパされ自分の脚を意識するようになった。
自慢、自慢..墓場まで持って行ける自慢。
最後の方は、ひどいネタだけど

試合では華やかな世界のトップが苦悩する姿を実際、見て
tigerがまったく知る事が出来ない領域の中で活動しているように感じた。
日本にいるだけでは、知り様のない情報があるという事も知った。
よって行って見て感じるそれを信用するようになった。
世界記録を連発し、世界を引っ張っていた人たちは、
競技者と言うより紳士だった。

鼻につく日本の競技者とは別ものだった。
インターハイ優勝や全中優勝など
過去に執着した学生は非常に多い。
後輩達には、挨拶の出来ない強いだけの後輩はいらない。
4年の時、全員にそんな説教をしたことがある。
その話を次の世代に繋いでくれた後輩がいる事も聞いている。

引いた目線で日本を見たり、アメリカを見たり、世界を見たり
その物の見方が出来るようになったのも
澤村先生のお蔭なんだと今さら...。

そして、こんなにオリンピック選手がいる大学もなかなかない。
共通して自慢話はしない。絶えず上を向いている。
加古川にいる方が変な自慢話を聞くことが多く、
tigerの様な中途半端な選手ほどその穴埋めに
自慢話をしてしまうのだろう!!さみしい限りである。
写真のメンバーみんなアメリカに渡り、結果を出した。
撮ってくれたのは、村上。メダリストに写真を撮らせる先輩達。

幅跳びの仲間達...寺野(04アテネ)、渡辺(00シドニー)、
森長(92バロセロナ、00シドニー)はオリンピック
大橋(92ソウル)は、世界ジュニア。tigerはインターハイで燃えつき??
まっさん(左3番目)はライト役。森さんの写真写り良くする為ね

2000年シドニーを目指して一緒にアメリカ合宿を行った
大座畠&大橋。
彼らが支えてくれて、やりつくしたがち~ん。
ほんま申し訳ない。オリンピック目指すのは自由だが
簡単に口にする言葉ではない...そんな事を学んだ。

2004年アテネは、野村とtigerで森長さんの最後のオリンピック挑戦に便乗し、渡米。
二人のオリンピック経験者と生活し、
32歳にしてにわか陸上選手だった事をやっと気づいた。
その時の遠征が一番学ぶことが多かった。塚原や高平と出会ったのもその時。
一瞬一緒に練習した仲だけど陰ながら応援している。
...これらも先生のレールの中で出来た縁である。

日大は他大学と比べつながりが弱いと指摘をいただいた。
今回も少しそれを感じた...。
オリンピック5位の大森とソウル代表で4継の原点を知る山内さん
同期の三宅、金田、荒木。荒田大先輩。井部短距離コーチ、後輩達と2次会。
マイルリレーについて超熱く語る大森君。
大森とはヒューストンで夜な夜な陸上話をした。
意外な走りへの感覚を聞いた。
その感覚の話は、いろんな人と出会ってきたが
大森とトムテレツからしか聞いたことがない。
91年東京世界陸上のメンバー
当時まぐれとからかっていたが...。
トロッティングだけしとけばええ...みたいな話をして
もっと走り込まなアカンみたいな話の時の写真。

みんな大森の話聞いてますか~

仲間に海外でレースに出る事を告げると
みんないいねって笑ってくれる...これが嬉しいリアクション。
『凄~い』とかは的得てないし面倒くさい。
澤村先生の影響を受けてきた仲間は、tigerの一番の理解者。

アメリカ連れていってもらって、三英社に入れてもらって
身勝手に三英社辞める時は、澤村先生から大目玉をくらい
今回の会場ハイアットリージェンシーで
三英社湯川専務、澤村先生、小山先生を食事に招いて
先輩の身勝手で後輩の就職先をなくす事のないようお詫びをした。
勘違いに勘違いを重ねて身勝手してきた陸上人生。
tigerは、まだまだ先生に敷いていただいたレールの上でしか
活動できていない。
本当にダサい41歳。
先人の思いを少しでも広げる事を使命と感じ
日本大学スタッフ同様、母校や地域に貢献したい。

よくわからないが
今日から胸張って『日大陸上部出身』と言う事にしよう!!
....なんかそんな気分。

40歳100m10秒台への道2013#62013年02月05日

【走幅跳】
Mattias Sunneborn 7m59
室内世界新
アトランタOP スウェーデン代表



そのマチィアスさんのトレーニング動画






技術の選択2012年06月05日

いろいろある基礎動作の『反発』と『姿勢保持』
だけをやってきたつもり...。4年もかけてね!
大きな声で言えないが『腿上げ』だけやった。

tigerの事じゃなくトレーニングパートナーの山本慎吾選手の話ね!

トレーニングの種類は、星の数ほどあって
経験則から導かれた『有効性の高い組み合わせ』を
ちょっと知っている。

人の体を使って
数少ない『有効性の高い組み合わせ』の再確認をし、
他の組み合わせを見つけようとしている...我々。

日本学童記録保持者の山本選手。
9年かけて自己ベストを更新した本人が
それを一番感じているかもしれない。


無職なんとか??とか言ってる選手より
先にもっと残酷な目にあった山本選手が
オリンピックトライアルのスタートに立つ。

tigerもコーチという名の輩として
観戦。

プレッシャーを必要以上に受け
引きつった表情をしてアップする選手の姿は、
どんなギャグよりも面白い。

性格悪いでしょ!?

ジンバブエ2011年06月14日


Ngonidzashe Makusha (ジンバブエ)が9秒89で優勝。
幅跳びとあわせて2冠。

北京OP 200m4位のBrian Dzingaiがいたり、そもそもジンバブエってどこ?
アフリカ南部
人口 1,246万人(2008年 世銀)
民族 ショナ族、ンデベレ族、白人
主要産業
(農)たばこ、綿花
(鉱)プラチナ、クローム、アスベスト、ニッケル、金
失業率 約80%(2007年:政府発表)(実体は不明)

アフリカからアメリカに渡った、24歳の若者に間違いなくtigerは注目。
9秒台8Mジャンパーは、ルイス、バレル、トンプソンに次いで4人目!?

可能性2011年05月24日

陸上:大けが、もがき続けた10年間 25歳、高2の自分をやっと抜いた【毎日新聞】

田村記者に感謝して
より知っていただいて彼を見守ってあげてほしい。
3年ほど前に日大の後輩,占部(トータルスポーツ)の紹介で『アスリートの夢』について
原稿を書いてほしいとの依頼で知り合ったのが彼と出会い。

当時、陸上を引退していろは出版で働いていた。
その後、陸上を始めましたとの報告を受け、
また一緒に練習しようぐらいの軽いものだった。

所属先が見つかり占部を通じて協力をしてほしい...と前所属先の方から依頼を受けた。
前所属先の方は、『9秒台で走らせてくれ』
その陸上をなめた発言に腹を立て引き受けたと言ってもいい。

たまに加古川で一緒にトレーニングをしては、
所属先のトレーニングメニューを優先にトレーニング。
行きたい方向性と強制される方向性の矛盾。
こんな状態では、記録の出ようもなくストレスをためるだけ・・・・。
この頃が一番しんどかったのではないと思う...それが昨年の夏

ただ逃げるな、自分に向き合え、そして、必死になれ
と言い続けた。

昨年、9月に会社の都合で急遽、解雇される。
これで初めて陸上競技に取り組む体制が取れたように感じた。
ただ社会的に独立した選手が記録を狙う事の重要性を唱え
ニートで練習しても一時的に良く感じるだけ・・・。
生活が不安定な状態で、強くなれるなら器ならとっくに強くなっていたはず...
練習よりも生活を安定させる事を勧めた。

同時に足元から陸上を取り組もうと800mという距離から走り始めた。
これは、晩年のカールルイスが準備期に走りこんだ距離。
晩年のルイスのメニューは、今だから理解できるメニューが多い。
と同時に『レース100m』を根の部分からしっかりと捕らえているように感じる。
小手先的な発想がない事に気づく。

過去の経験からしても200m型の選手は、800mぐらいで崩れない動きを
出来ないようじゃ春先スピードが上がると怪我を出すだけ。
崩れないをキーワードに実は、20kmなどのJOGも実践。
ガタガタの芝生で走りこんだり砂利道で走りこんだり
足裏の感覚を磨くための方法として自然をふんだんに利用した。

同時進行で仕事が見つかったり、NOBYの手伝いをしたり
人と関わる事が多くなり、人として力を付け始めた。

自分の活躍が自分だけのもので終わらすのではなく
人に影響を与えることが出来るように・・・。
そして、早熟で挫折した選手たちの分も頑張れ・・・。

どんな練習をしたからとか、どんな動きをして記録が上がったとか言うのではなく
早熟選手として終わらすのは、己の弱さゆえ...。
しっかりと経験者としてメッセージを残してほしいと・・・。記録出しての話だけど・・・。
そんな話を森長さん池田(富士通)と一緒に沖縄合宿の時、話した。

カールルイスの必死さやオリンピックを狙う選手の覚悟。
実際、見た人間が伝えようという思いの中、それらをまだ伝えている最中です。

2001年怪我で陸上から距離を置いて海外に逃亡したtiger。
パリで為末のレースを観て、数日後、オスロで朝原のレース(10.02)を観た。
海外で観た日本選手は、逞しく、ギラギラ光っていた。
そして、怪我ぐらいで逃げている自分を気付かしてくれた。

逃げない陸上をしようと今に至っているが、
慎吾にしてもトレーニング仲間にしても
自分から逃げない陸上がリンクワードかも知れない。
まぁそれを教えてくれたのは、慎吾の高校の先輩、森長さんなんだけどね!?

いろんな人のお陰。心底そう思う。
いろんな人に教え教えられ、お世話されてお世話しよう。
陸上は作り上げるもの...その事も言っておきたい。
彼も・・・俺も・・・仲間達も・・・、まだまだ...これから。